できるようになったこと その2

 児童の読書記録を昨年からきちんと取らせるようにしている。コメント欄は、感想ではなく、「どんな本か分かるように(一文で)書こう」としてある。
 感想にしてしまうと「〜が面白かったです」というオンパレードになるからである。

 これは、

を読んだときに、「一文で書く」手法を読書記録にもと考え、以後そのように指導している。「あらすじ」と言うと、子どもは、延々と「〜して、〜して、〜して・・・と書き続けるので、一文と言うところがミソである。
 以前ハリポタを読んでいた児童が「こんな長い本をどうやって一文にするのですか?」と聞いてきたが、「一文は無理でも、短くね」と答えておいた。

 そうしたら、先日読んでいた石原千秋氏の『秘伝 中学入試国語読解法』(新潮新書)に「一文」の詳しい説明があり、私がずっとうまく言えなかったのは、このことだった!!ととても納得したので、引用させていただきます。

 第2部 1章 「国語」の基本型 
フランスの批評家ロラン・バルトは、「物語は一つの文である」という意味のことを言っている。これがこれから僕が「国語」について解説する立場である。
 「物語は一つの文である。」ということは、物語が一文で要約できるということである。(これを物語文と呼んでおこう)。たとえば、『走れメロス』(太宰治)なら、「メロスが約束を守る物語」とか、『ごん狐』(新美南吉)なら『兵十とごんが理解し合う物語』とかいう風に要約できる。これが物語文である。もちろん、もっと抽象的に「人と人が信頼を回復する物語」(走れメロス)とか、「人間と動物が心を通わす物語」(ごん狐)でもいい。ここで気づいてほしいのは、こんな風に物語を抽象的にすればするほど物語どうしが互いに似てくるということだ。この共通点が「物語の型」なのである。
 「国語」が得意な人はこの「物語の型」が見に付いている人だ。それは読書によって得られることが多いから、読書をよくする人が「国語」が得意になるのである。だから、、「本を読みなさい」というアドバイスは、正しい。僕も読書を勧める。
 「国語」で繰り返し語られるのは「子供が成長する物語」である。どういう風にして成長するのか。(以下 略)

 この部分を読んだだけでも、この本の価値は十分あると思えるほどです。
 
 今年の読書記録を読んでいると、だんだん上手に一文にまとめられるようになっています。この一文でまとめられるようになって、次に1行感想を書くと、たった2行でも読み応えのある読書記録となります。