保護者読み聞かせ
毎回少しは顔を出すようにしているが、よく考えたら、担任を持っていると、始まる前に顔を出すだけで、終了後は何もできないことになる。
「保護者読み聞かせ」も、外部人材の登用という言葉の広まりと共に小学校現場では当然のものになったが、学校側が、そのねらいを伝えている所はどれだけあるのだろうと思う。
「読み聞かせ」は確かにいい。でも学校側が、ボランティアの方が読んでくれるからと、読み聞かせを「丸投げ」してしまうのは再考しなければならないと思う。
幸い本校の読み聞かせは、本当にスムーズに行われている。
5時間目の終了後、1年生の教室で、
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「(読み切れなかったので)担任の先生に読んでもらって」と置かれていったらしい。聞くと、ほとんど全員幼稚園、保育園時に知っている本だった。
でも、何度も書くが、そういう本の方がとってもよく聞くのである。ストーリー展開は知っているので、安心して聞けるのだろう。
多分数回目の「たまごにいちゃん」だが、読みながらこれで1時間授業が組めると思った。
昨日の熱気溢れる研修会の余韻で、いろいろな企画が頭に浮かぶ。
勤務校の蔵書は、もちろん「母校に」と書籍代を寄贈して下さった卒業生に負うところが大きいが、やはりそれを市内の発信図書館にするのが、寄付して下さった方への恩返しだと思っている。
怒濤のようにこの2年半本を買ってきたが、やっぱり「これだけは小学校図書館必需本リスト」が必要だと思う。
(私だって、転勤すれば欲しいリストである。)
そうして、そのリスト表を元に、ない本を買えばいいだけの話である。
とかいうものを提案するためには、その原型を作るしかなく、
「作らせていただきます、はい・・・。」
この発想って、以前赤木かん子が、
「(絵本総解説)って、多分自分が一番欲しい本」
というような意味のことを言っていたのと同じになる。
考えるだけなら、本当に楽しいです。
おまけ
ネット上の古書専門店で本を検索し、発注することを覚えた夫は、嬉々として注文している。今日届いたのは、木下利玄の歌集「李青集」(初版1925年)。帰宅後、娘2人が「木下利玄知ってる!」と言ったものだから、ますます機嫌がいい。
この2人の「知っている」は、「国語便覧で名前を見て、聞いたことがある」という意味である。