教師という仕事

 私が教師という仕事を意識したのは、小学校の頃、祖父から何度も
「おばあちゃんは、聡明ないい先生だった」と聞かされたのが、最初だと思う。
 祖母は幼い子供を残して、36才で亡くなったが、私はその聡明さを、うんざりするほど聞かされて育った。(私のできの悪さを嘆く、祖父の深いため息とともにね。)
 「町で1台しかないピアノを弾いた。」という話も何度も聞いたが、私に音楽の才能はなく、祖母の残したピアノ教本は10数冊あるにも拘わらず、縁はなかった。
 生きていれば、100才。せめて小学生の頃、会いたかったなあ〜と思う。

 私は大学に入る時は、教師にはなる予定でなかったのに、最終的に教師の道を選んだのは、どこかで、祖母の面影を追っていたのかもしれない。

 神戸時代に、新聞で「明石師範の同窓会」の記事を見つけ、祖母の同窓生に会えるかも知れないと出掛けてみた。
 どういう縁だったか、もう忘れたが、祖母の同窓生と連絡が取れ、当時の様子を聞いてみた。
 「おしゃれだったこと。帽子が好きで、よくかぶっていたこと。ピアノが上手だったこと。」等が手紙に綴られていた。
 「やっと祖母に会えた」と本当に嬉しかった。

 私が、教師を続けているのは、今私の周りにいて、支えてくれている方々のお陰だが、この祖母と、小学校2年生の時のたった3ヶ月の担任だった東井義臣先生(40才半ばで朝マラソン中に倒れ、10年間以上意識不明の寝たきり生活後、亡くなりました。教師になったことを知らせたら、きちんと返信して下さったハガキが手元に残る唯一の思い出の品です。帰省したらいつでも会えると思っていて、結局会えずじまいでした。本当に心残りです。)に、もう会えないけどずっとどこかで支えてもらっているのだと、思っている。

 なぜか、ふっと思いだしたこと。