明日の準備

 明日の使用本で、まだ揃わない本を図書館に行って借りる。金曜日は、夜遅くまで開いているのでありがたい。
 6月の赤木かん子講演会のリストとは、見事に1冊も重ならない。

 「こどものとも」は、すでに購入しなくなって10年になるが、市立図書の2階にちゃんとあることを初めて知る。

 おまけ その1

 雑誌『中央公論』9月号で内田先生と吉本隆明氏の対談を読む。最近の「ビジネス誌の子育て指南書?」のいやらしさをばっさり語っていてくれ、すっきりする。
 吉本先生の本って、高校の時から理解不能だったけれど、この対談は、理解できる。今月号の「特集」は、読む価値有り!
 
 おまけ その2
 今日の内田先生お題は、「後両肩取心得」
 

危険な因子が「見えて」からすばやく反応できる能力を開発するより、危険な因子が「まだ見えない」段階でそれを感知する能力を開発するほうが費用対効果がよい。
いつも言っている例であるが、ライオンと出会ってから走って逃げ切る走力を身につけるよりは、数キロ手前で「なんか、あっちの方にゆくと『いやなこと』がありそうな気がする」という「ざわざわ感」を感知する能力を身につける方がずっと効率的である。
私たちの生存にとって「危険なもの」はごく微細であれ「危険オーラ」の波動を発信している。
生物は(原生動物でも)そのような「オーラ」を感知することができる。
というか、危険を回避し、生存戦略上有利な資源の方にひきつけられる趨向性をもつもののことを「生物」と呼ぶのである。
私たちは生物であるから、危険をもたらすものは回避し、利益をもたらすものには惹きつけられる。
安全な社会(現代日本人は自分たちの社会をそのような社会だと信じている)では、「利益をもたらすもの」に対する嗅覚は敏感になるが、「危険をもたらすもの」に対するアラームは鈍麻する

 3年前の台風23号で実家のある兵庫県豊岡市は、出石川が決壊し、500戸の床上下浸水、下流円山川決壊では、8300戸の浸水被害が出ました。出石川の近くに住む友人は、伊勢湾台風で川が決壊したことを親から何度も繰り返し聞かされていたため、川の増水を見て、家族総出で、1階にある荷物を運び始め、運び終わったと同時に水が家の中に入ってきたそうです。
 
 「危機管理」という言葉は、結局は危機を関知できる身体能力ということに置き換えられるかもしれないと思った出来事でした。