ここにも内田先生
理科主任の先生に注文をお願いしていた実験用広口ビンが段ボールで届き、理科室で荷を解いていたら、中に丸めた新聞紙が入っていた。
きちんと畳んで、資源ゴミにしようと思ったら、内田先生のお写真が!
先月4月18日(水)の読売新聞 文化面(論壇)だった。
標題は
家族壊す <消費主体>社会
欲望のまま集団に属さず生きる
で、内田先生が『現代』に書かれた「目覚めよ団魂!7%の勇者が日本を救う」から
団塊の世代である自分たちはお手伝いをして褒めてもらう、つまり「労働」により「家族という最小の社会」で認めてもらうことから社会生活に入っていった。(中略)
「消費主体として生きるというのは、集団に属さず、個人の欲望を
軸にして生きること」
という文章が引用されていた。
私は中学の家庭科の教科書で「家庭は、最小限の社会で、子どもはそこで様々な社会性を身につける」というような意味の文章を読んだのを強烈な印象として記憶している。なぜ、この文章が強烈だったかと言うと、
「その家庭が間違っていたら、子どもは社会性が身に付かず、かなり不幸である」と思ってしまったから。
集団に属するのは、当然手間も暇もかかる。でも、そういう手間と暇をかけることでしか人は学べないのではないかと年と共に思う。
また、自分の子どもへ伝えられるのは、手間暇かけている親の姿ぐらいなんだろうなともね。