学校図書館の未来を考える

 休日出勤し、同じく出勤していた先生と図書館の話になる。

 ここしばらく、揃えたい本のほとんどを購入できる恵まれた学校に勤務できたことを、どう生かすのか?とずっと考えている。

 機能する図書館をどう伝えていくのか?

 そのために、古い古い昔話から始めます。その1

 図書館での就職を諦め、学校に勤務したのは、学校には「図書館」があるからでした。最初の勤務先は、神戸市東灘区魚崎小で、42クラス、1600人はいたと思います。神戸で2番目に大きい学校でした。
 新採は2年生。42,3人×7クラス。今の勤務先の全児童数より大勢を7名だけで見ていたのですから、まあよい時代だったのかも知れません。

 かなり大きな学校だったので、低学年(1,2年生用)と3年以上の図書館がありました。今から思うと、蔵書はあったように思います。でも私が読み聞かせする本の全部が揃う訳でなく、せっせと大倉山の市立図書館に通いました。

 以前も書きましたが、鴨の子文庫育ちの同僚の先生がいて、私が読もうとする絵本のほとんどすべてを「知ってる!」と言われ、小学生の時期に出会わなければ、大人になってからでは遅いのだとつくづく思いました。

 終わり。

 おまけ

①ここの学校の同僚の先生を沼津の某小学校のPTA総会でお見かけしました。「何で沼津?」と思ったら、結婚退職して夫の勤務先の沼津にお住まいでした。

②10年前の勤務先に神戸から新採の男の子(今は+10才)がやってきました。(神戸の)北区に住んでるというので「東灘区の魚崎小」に私がいたことを伝えると、出身校だと言うのです。「4,5,6年の担任を言ってみて」と聞くと、全員同僚でした。担任ではありませんでしたが、「陸上クラブ」顧問として、卒業アルバムに並んで載っていました。恐ろしいことに「覚えている」とか言われました。

③ そして ②の男の子は①の教員の教え子だったので、3人で懐かしい同窓会を開いたのは、言うまでもありません。ちゃんちゃん!

 一体今日は、何の話だ?

 ずっと仕事してて疲れてるな、きっと。