始業式

 日焼けして、大きな荷物を持った児童が次々と登校してきた。いよいよスタート。
始業式の「夏休みの思い出と2学期にがんばること発表」で「読書」のことを話題にした児童が2名もいた。図書室運営の継続的で日常的な下支えの必要を感じる。
 某付属小研究会へ行った教員から「図書室の本」が絶句状態であったと聞く。聞いて思ったのは、誰かが「(改装を)やる」と思わなければ、図書室は永遠に変わらないということ。
 私は運動場で当たり前に子どもが体育をやれるように、授業で当たり前に図書室を使えるようにしてこそ学校なのだと思います。

 5年生と(財団法人)松下教育研究財団の子どもニュースプロジェクト打ち合わせ。6年生と調べ学習の打ち合わせ。「『引用、索引』の授業を」という6年の先生の言葉が嬉しい。

おまけ
 『中央公論』9月号が私の机上にあったのを「そんな(ってどんな?)本を読むんですか?」と若い先生に聞かれる。特集が面白そうであれば、総合誌は買うことがある。今回は「『親力』がわが子の能力を決める」のタイトルだったのと、その中で岩村暢子さん(紹介文より 1960年以降生まれの人々を対象とした継続的な調査研究に基づき、現代の家庭や社会に起きるさまざまな現象を読み解くことをテーマにしている。)が執筆していたので購入。

 岩村さんの記事は
 

「母はなぜ娘に『伝える』ことをやめたのか
  ー食卓の崩壊から見えてくるもの
  まともな食事が作れないと、今の主婦を批判する論調が多いが、本当に
  彼女たちの問題なのか。食の崩壊を読み解く鍵は、その母親の価値観にある

と題するもの。

 1960年生まれの母親は今、72,3歳(1933年1934年生まれ)で、10代のはじめに終戦を体験し、戦後の価値観の崩壊と、新教育への転換の直接的な影響をもろにうけた世代である。(中略)「価値観はある日突然に変わるものだ」ということを頭ではなく、身体で知っている。(中略)
 この世代の口癖に「時代、時代で変わりますから」という言葉がある

 

今のお母さんたちは、栄養に対する知識がないわけでもなく、調理技術を知らないから食が崩れているわけでもない。不足しているのは情報ではなく、毎日続けて習慣にする能力なのである。知識や情報処理能力は、昔の女性より上かもしれない。しかし、毎日毎日やりつづける力がないのである。
 だから、突発的にある日、本を見てすごい料理を作ることはできるが、長くは続かない。

「毎日毎日やりつづける力」は食だけに限らず、生活全般に必要でしょう。自戒を込めて・・。