子どもの選書は、あけてびっくり玉手箱

 子どもに「(今日読む)本持ってきて」というと、大概机の横に掛けてある本袋から出してくることが多い。自分の読んで欲しい本が手元にないこともあると思い
「今読んでる本じゃなくてもいいんだよ」と声をかけても、ほとんどは、本袋から出してくる。不思議だ。

あまがさ (世界傑作絵本シリーズ)

あまがさ (世界傑作絵本シリーズ)

 やしまたろうの『からすたろう』は、1979年の出版で、すぐ買ったのを覚えてます。この「あまがさ」はそのもっと前の作品。「やしまたろう」の作品は、個人的には好きですが、1度も学校で読み聞かせをしたことがないので、今日子どもが持ってきて、本当にびっくりしました。図書館へ置いておくと、ひっそりと借りられる本というイメージでした。2作とも、赤木かん子さんの書評が、
児童文学書評の著者名「やしまたろう」で読めます。

ぼくはいかない (からだとこころのえほん)

ぼくはいかない (からだとこころのえほん)

著者紹介文より

2001年、絵本というかたちを通して、「子どものことを子どもに伝える」ことを始める。初めての絵本『けんかのきもち』(ポプラ社)で、第7回日本絵本大賞受賞

『けんかのきもち』を初めて読んだ時に、すっと自分の子ども時代にスリップした気がしました。この「ぼくはいかない」を読んで、まさか「いかない」ぼくをみんなが説得して行くベタな話じゃないよねって思っていたら、その終わり方が本当にうまい、はあ〜。ちゃんと子どもの時に読みたい作品だと思いました。

今日の内田先生
 

繰り返し申し上げるが、自分の手で未来を切り開けるということはない。
どれほど才能があって、どれほど努力をしても、それがまったく結実しないと嘆く人間がいる一方で、まるで才能もなく、ろくに努力もしていないけれど、どうも「いいこと続き」で困ったもんだとげらげら笑っている人間がいる。

 おおかたの人は誤解しているが、願望達成の可能性は、本質的なところでは努力とも才能とも幸運とも関係がなく、自分の未来についての開放度の関数なのである。
 それは「未来を切り開く」という表現からはきわめて遠い態度である。未来の未知性に敬意を抱くものはいずれ「宿命」に出会う。未来を既知の図面に従わせようとするものは決して「宿命」には出会わない。真に自由な人間だけが宿命に出会うことができる。甲野善紀先生もそうおっしゃっている。

 私は「未来の未知性に敬意を抱いている」ので、いずれ出会う予定の「宿命」がとても楽しみです。

おまけ
 今日の新聞で「三井住友銀行の子会社、SMBCコンサルティングが発表した05年のヒット商品番付を見る。前頭6枚目まで、全20品目。私でさえ始めた「ブログ」が大関だったものの、我が家に関するものは、子どもが見ていた「ごくせん」と長男に頼まれて買った「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」のみ。愛知万博もETCも光ファイバーもスチームオーブンも手ぶれ防止デジカメも縁がなかった・・。