サンタクロースの部屋

 19日のコメントで、マダムYAMAさんの「手応えがあって、共感しあえるあの雰囲気が何とも言えず好きでした」を読んで思い出しました。
 私に大きな影響を与え、私の、どんな形であれ「子供と本をつなぐ架け橋になりたい」ことに対して、強く背中を押してくれたのが

サンタクロースの部屋―子どもと本をめぐって

サンタクロースの部屋―子どもと本をめぐって

です。特に、最初の サンタクロースの部屋ーはしがきに代えてーを読んで、その思いは確信になりました。
 少し長いけど、引用します。(何度読んだか分からない)

 もう数年前のことになるが、アメリカのある児童文学評論誌に、次のような一文が掲載されていた。「子どもたちは、遅かれ早かれ、サンタクロースが本当はだれかを知る。知ってしまえば、そのこと自体は他愛のないこととして片付けられてしまうだろう。しかし、幼い日に、心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。わたしたちは、サンタクロースその人の重要さのためではなく、サンタクロースが子どもの心に働きかけて生み出すこの能力のゆえに、サンタクロースをもっと大事にしなければいけない」というのが、その大要であった。(中略)
 心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心に中に、サンタクロースを収容する空間をつくりあげている。サンタクロースその人は、いつかその子の心の外へ出ていってしまうだろう。だが、サンタクロースが占めていた心の空間は、その子に残る。この空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人を、ここに迎えいれることができる。
              ※
 この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かはいうまでもない。のちに、いちばん崇高なものを宿すかもしれぬ心の場所が、実は幼い日にサンタクロースを住まわせることによってつくられるのだ。別に、サンタクロースには限らない。魔法使いでも、妖精でも、鬼でも仙人でも、ものいう動物でも、空飛ぶくつでも、打出の小槌でも、岩戸をあけるおまじないでもよい。幼い心に、これらのふしぎの住める空間をたっぷりとってやりたい。

というもの。ですから、私の読み聞かせの基本は、その「ふしぎの住める空間」作りということになります。その結果として、本を読むようになる・・のであって、最初から「本好きにするには・・」という触れ込みでの「読み聞かせ」に違和感を感じるのは、そのためだったんだと。
 そうして続けていくことにより「手応えがあって、共感しあえる雰囲気」になるのは、毎日接している教師にしかできない実践だと思います。
 教室で読んでいたマダムYAMAさんのような人が増えると、いいなあってね。
 
 ところで、こうして毎日書くことは、前もって決めておくのではなく、何となくその日に私の心にピンときた言葉をヒントにし、内容だけ決めて、PCの前に座ります。今日は毎日読んでいながら、自分で新発見したような新鮮な気分になりました。マダムYAMA様、改めて御礼申し上げます。

で、今日の1冊は

シナの五にんきょうだい

シナの五にんきょうだい

前も紹介したけど、今日は、中に絵がなくて、2ページ共文だけのところがあることに初めて気が付きました。また、2ページとも絵だけのところも。文だけと絵だけで対の効果を狙っているのかな?と思いました。
 いつもながら、昔話になるといつも以上に子どもは集中します。私は、集中して、口を半開きにしながら聞いている子供の顔が好きです。