毎日読むということ

 いつからからはよく分からないけれど「読み聞かせ」という言葉が、学校現場で誰もが知る言葉になった。「朝読書」と同じぐらいの時期かな?
 でも学校現場では、何故か、「保護者読み聞かせ」とか「地域の方の読み聞かせ」が前面に出ているような気がする。これは、ずっと読み聞かせをしてきた、地域文庫の方の方が本については詳しいんだから・・・という前提に立った考えである。確かに、教師が読み聞かせをしようとすると、まず、児童書の情報をチェックして、読み聞かせにふさわしい本を決め、購入手続きをして・・読む時間帯を自分で確保して・・と、超えなければならないハードルはあまりに高い。それに、本を読むのが好きであるという当たり前の条件付きである。
 私の場合、「教師になったら読み聞かせをする」という、大きな思い込みに過ぎない考えを何の疑いもなく押し通した。今から思うと、周りの先生はどう思ってたんだろう?1クラス45人の学年7クラス、全校42クラスもあったから、何も気にすることなくできたんだろうな。
 で、「毎日読む」ことを日課にしていくと、いろいろな変化が表れ、もう読むのをやめられなくなった。変化としては
①朝読むので、時間確保のため、連絡事項を最低限にして「さあ、読むよ」とな るため、気持ちよく1日のスタートができる。
②話を聞くという姿勢が身につく。言い換えれば、言葉に力があると分かるよう になる。そして、言葉でイメージできるようになる。
③本が好きになり、自分でも読むようになる。
④ ③の結果、保護者から喜ばれる。(おまけね)

 一番びっくりしたのは、「本を読むようになる」ことを保護者の方は、私が思っている以上に喜んでくれるということ。本なんて、自分がそうであったように、誰に言われたから読むのではなく、ほっといても読むもんだと思っていたら違った。(まだ22歳でしたから。)
 このような変化が分かり、正直、学校現場で仕事ができてよかった!と思った。つまり、図書館で働いていたら、基本的に私は、図書館に来る子供対象のサービスしか考えついていなかっただろうな、ということ。
 本に興味のなかった子供が、簡単に本好きに変化していく手助けができるというのが、正直これほど自分に大きな喜びをもたらすものとは思いもよらなかった。

 ということで、しばらくの間1年生へ読み聞かせをすることになったので、毎日読むということを少し振り返ってみた。

 今日の本

ルフラン ルフラン

ルフラン ルフラン

 1学期に荒井良二さんの最新刊で購入。すいせん図書にしたのに、ずっと見当たらず、子供に「どこにありますか?」と聞かれ続けてたけど、今日返却されてた。1年生にこのシュールさは、難しかったかな?

おまけ
 私のブログを覗いていた次女が「へえ〜、もうすぐ30000だね。お祝いとかするの?私ね、この間、うちの学校のHPの90000カウンターを踏んだんだよ。ちゃんとコピーとってある!(多分何ももらえないと思うけど・・・)」
 私としては、HP化の気配もないのに、カウンターの数字が増えていくのは、非常に心苦しい限りです。