新学期

 私と義務教育の娘2人は新学期。
 昨日の我が家は、次女と長男の感想文で盛り上がる。感想文ってすごく毛嫌いする人がいるけど、それは、指導のされ方が、かなり合わなかったと思うのですが、いかがでしょう。つまり、全く指導もされないのに、本なんて好きでもないのに「書け」と言われたというようなね。
 そういう私も小1の時に「かんそうぶん」の宿題が出て、「かんそう」の意味が本当に分からず、8月30日に父親に泣きついた。でも、次の年から、延々と感想文を書き続けたから、そんなに嫌いじゃなかったのでしょう。 

 明日から、図書の返却が始まる。今年は、新刊が入ったらすぐ貸し出したので、全部揃ったら、どれぐらいになるか見当がつかない。文庫用の棚を作って少し置けるようにしたけど、大丈夫だろうか?

『身体の言い分』続き(内田先生)

 

仕事って「これ、やってくれる?」ってあっちから来るもので、「これ、やらせてください」って自分から言うものじゃないと思うんです。本当は。
 「あなた、これをやってください」って向こうから言ってくるわけですけれども、何でそんなことを言うのかと思うと、「あなたなら、これできると思って」というわけです。この「あなたなら、できるんじゃないの」という評価をもって社会的承認というのであって、ドアをこじ開ける力のことを言うわけではないんです。ドアは向こうからしか開かないし、梯子は上からしか下りてこない。それを自分から「ステップアップ」とか言って、あたかも梯子を自力でかけて自力で上がれるかのような幻想をふりまいて、「成功のドアを開けよう」なんてとんちんかんなことを言っている(笑)。成功のドアは向こう側からしか開かないし、ステップアップの梯子は上からしか下りてこない。
 他の人はいったい自分に何を求めているのか、自分はこの社会でどんな仕事ができるのかというようなことをいつも考えている人の前には自然にドアが開くし、梯子も下りてくる。どんなことをやったらみんなに喜んでもらえるのか、自分の個性や力量は、どんなかたちでもみんなの役に立つのかということをある程度集中的に考えていないと、そういうことは起きないんです。