関西人と鼻濁音

 昨日の内田先生の日記は、大瀧さんとの対談について

大瀧さんは東北出身なので、中間母音と鼻濁音では無数のグラデーションを使い分けることができる。私のみるところ(というか聴くところだな)その大瀧さんが得意なのは「が」の鼻濁音である。
 『幸せな結末』は「髪をほどいた君のしぐさが 泣いているようで胸が騒ぐよ」という歌詞で始まるが、この「つかみ」のところで大瀧さんは彼が出すことの出来るもっともセクシーな音韻である「nga」の鼻濁音を二回用いている。

 と、鼻濁音の話がある。私は、結婚して5,6年たったある日、突然夫に
「お前って、鼻濁音じゃないよな。関西人って鼻濁音話さないって本当だったんだ!」と大発見したかのように言われ、そこで初めて「鼻濁音?」と認識した。

 一昨年、県の「あすなろ公開講座」に参加し、第4回が「鼻濁音」であった。その時の資料には

 ○「鼻濁音」の取り扱いに関して
(1)国語の教師として、鼻濁音について、理解しておきたい。
(2)鼻濁音は、「地方差、個人差」(NHK新アナウンス読本)に加え、近年急速な衰退傾向にある。したがって、教室で、もし扱うとすれば、児童生徒には紹介までか。習得は学習範囲外。
(3)国語の教師としては、平素の言語生活で鼻濁音を意識したい。できれば、その習得  と使い分けを心掛けたい。その特性を次代に伝えられたら最高。
  「ゴツゴツした感じを持つガ行音を、柔らかな聞きやすいひびきにして伝える。」
  (NHK読本)
  「日本語の上品さの代表例とされる音の響き」
  (朝日新聞 H11.12.3)

 とある。その朝日新聞によると、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は鼻濁音。松任谷由実の「卒業写真」は、非鼻音。だそうである。また、長野県の小学生で調査した結果
1975年には、91%だったのに、1999年には5.7%まで落ちたとある。この調査をした信州大の馬瀬名誉教授の話では、

 東京でも年配の人を除いて鼻濁音を話さなくなり、アナウンサーでも必ずしも正確に発音できない現状では、共通語としての資格を失っていると言わざるを得ない。語頭では非鼻音、語中では鼻濁音というのは、体系的ではなく、一つにしようというのは自然の流れ。とりあえずはどっちを使っても良いことにし、いずれ時期を見て鼻濁音をやめた方が理想的だと考える。
 


だそうです。
 鼻濁音をきちんと話せない私としては、理解し、紹介できるようにするだけですね。