「情報処理能力」と「習慣能力」

 8月21日(日)毎日新聞 
 暮らしに豊かに 役立つページ
「はしとスプーン  食卓の歩み」 番外編 

 で、岩村暢子さんが「何を失ったか再考を」と題して、文を寄せられています。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kurashi/shoku/news/20050821ddm013070070000c.html

 

《1960年以降生まれの現代主婦が作る家庭の食卓はなぜ崩れたか、その母親ら(60〜70代前半)を追跡調査。食は今のおばあちゃんたちから変わったと分析する》

 母親世代は、価値観がある日180度変わることを体験した。今までのことは間違いで、新しい時代を生きろとスローガンを吹き込まれた。働くスタイル、結婚観や家族の関係、すべてが変わり、それまでの価値観は無用になった。教育や社会の激変期をくぐって生きる中で、自分の体験を子どもに語っても無駄と思い込み、教えたり伝えたりしない親になった。

 戦後教育の最大目標は情報処理能力に置かれ、人間が毎日コツコツと積み重ね体に培う「習慣能力」は学校でも家庭でも求められなくなった。特に家事は家庭でこそ培われるものなのに、専門の人に任せればいい、必要になったら情報を集めてやればいいとされた。だから現代主婦は本を見れば料理は作れるが、食事を日々作り続けることがなかなか出来ない。「忙しい」は後から付いた理由で、やり続ける能力が身についていないのだ。(後略)

 
 非常にまっとうな意見だと思います。「習慣能力」という言葉は、確かにそうとしか言いようがない!と。職場でよく聞く「不易と流行」の「不易」の部分でしょうか? で、学校が無理なら家庭でとなるのでしょうが、これがならないんですね。
 私は、初めての出産前「育休中は働いている今と違って、きっと食卓が豊かになるに違いない!」と予想したのに、ほとんど変わらず愕然とした苦い思い出があります。やはり「忙しい」は後からついた理由だったんですね。
 でもまあ、言い訳をするなら、せめて「家族で食卓を囲む」だけは守ってきたような気がします。特に朝ごはんは、私にとって聖域で、何がなんでもという思いでいます。

おまけ
 お昼に多分初めて、家族で違う食事ー子どもだけパン食(今日が賞味期限)、大人はご飯ーにしたら、長男が「何で、自分ばっかり、ちゃっかりご飯食べてるの?」と聞いてきた。やっぱり、やめよう。