朝読書2週目
今日の朝読書(図書室利用)は4年生で、今日から2巡目に入る。朝7:45に図書室へ行くと、PCの前には20名以上の長蛇の列。それを図書委員会がひたすら処理していた。
早めに借りた児童はもう50分ぐらいから読書ができるので、15分間が25分間になる。席は1年固定で決めてあるので、すべてがスムーズに進んでいた。
今日はゆっくり子どもの本を見れず。明日の5年生も楽しみ。
ところで、今日の内田先生のお題は「メディア リテラシー」
<・・・・自分の発したことばが自分の思考や感性を呪縛する力の強さを侮ってはいけません。だから、メディアにかかわる人間の「情報評価能力」はまずもって自分自身の伝えるメッセージの「真偽」と「重要性」と「適所性」について向けられなければならない、私はそう思います。その評価の努力は「聴き手に対する敬意」によってしか担保されません。いくら滑舌がよく、博識で、英語ができて、自信たっぷりな人でも、その人が「自分の話を頭から信じ込む」タイプの人であれば、その人のメディア・リテラシーはきわめて低いと断じなければなりません。そして、その人のメディア・リテラシーの低さは聴き手に対する敬意の欠如ときれいにシンクロしているんです。> 太字はkoyateru
私の「情報教育」に対するつい最近までの違和感は、「情報教育」と内田先生が言う所の「聴き手に対する敬意のなさ」をどこかで誤解し、イコール(=)に思っていたんですね、きっと。
思い出すのは、竹内敏晴さんの『言葉が襞かれるとき』の次の一文
(先日、ちくま文庫で出ていた。ずっと売れ続けているんですね)
「・・・・<どのような質のことば能力がお互いに必要なのか>をくり返し考えてきた。それで、<読み書き能力を第一義とする指導・研究の現状では、つまりは支配されるのに都合のいいことば能力しか育てられないのではなかろうか>と思い、この疑問を演劇教育や生徒指導の分野で解こうとはしてきた。・・・・(中略)“事実をつかまえ、他者との間で自己実現し、未来を手探りするためのことば”そういう能力でなかったら、どんなに豊富な語彙の駆使であろうと、浅くむなしい。」
他者を意識しない「豊富な語彙の駆使」だけでは、伝わらないワケです。これって、プレゼンの極意ですよね。
最後に、今日は、何とか仕事が一段落した(気がするだけ?)ので、休憩
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●サバイバルと食ーわしの愛するもの の中の
「特に好きだったのは、少年たちのサバイバル体験を描いたベルヌの「十五少年漂流記」。(中略)3年生くらいの頃、漂流した時のための「サバイバル・ノート」なるものを作っていた。」
の部分。私と同じ・・・。小学生の頃の私の部屋には、漂流した時とは言わないけど、サバイバル用のバッグが置いてあり、定期点検を怠らなっかた。非常時にはどう生き延びるか・・・を毎日考えてた暇な小学生だった。