ブログ論

 昨日の内田先生の日記は
ユリイカ』のブログ作法特集の巻頭の座談会を受けて書かれていた。

「私はワードで書いて、推敲して、場合によっては一日寝かせて、それからアップしてから実際の画面で読んで、さらに数回直す。(中略)
私はことばというのは単なる「メッセージの運搬基」ではなく、それ自体がある種のフィジカルな力を持っていると考えている。その「フィジカルな力」は、繰り返し舌先で転がし、筆先でこねまわし、修辞に配慮し、韻律を調音してるうちに、しだいに書き手の意図を離れたところにゆっくりと向かってゆく「本然の趨向性」を蔵しているような気がする。気がするだけですけど。」

 そうか、私が毎日欠かさず2回は内田先生の日記を読むのは、「繰り返し舌先で転がし、筆先でこねまわし、修辞に配慮し、韻律を調音してる」文章がとっても心地よい文章だからだったんですね。なかなか毎日毎日心地よい文に出会うことってそんなにありませんから。

 今日は、新採指導のため自分の授業はなし。放課後はずっと文書作成。

 先日

日本の名随筆 (別巻85) 少年

日本の名随筆 (別巻85) 少年

を買って読む。子どもの頃読んだ「湯川秀樹」の伝記のもととなった『旅人ーある物理学の回想』が載っていたため。今でも覚えているの伝記の内容はは、「祖父から受けた漢文の指導」や「祖父の部屋から本を借りて、そっと返したはずなのに見つかってしまった」とか。伝記は学習マンガ花盛りだけど、文章や体裁を今風にして、子どもが気軽に手に取れるような本があればいいのになあ〜。
 湯川さんの文中に、「10巻の『太閤記』が読み終わる頃には、もう小学校に入学していたように記憶している」とあった。つまり、幼稚園の頃読んだと言うこと・・。
 そういえば、今フイに思い出したんだけど、私が、「本を読んだ〜」という気持ちになったのは、高校の冬休みに
勝海舟(一) (新潮文庫)

勝海舟(一) (新潮文庫)

の全巻を読んだ時。どっぷり本の世界に浸れたなんて、時間の流れ方が違っていたのでしょう。当時は文庫ではなく、単行本でした。