教師今昔

 今日は朝打ち合わせのため、読み聞かせはなし。で、3月4日付けの内田樹先生の日記に(私が引用するブログは、ずっと内田先生。くどいと思われた方すみません。最近は新聞読まなくても読むのが内田先生ブログです。)

・・・『先生はえらい』のための取材が来る。・・・・・1時間ほどインタビューを受ける。
 突然思いついて、木下恵介の『二十四の瞳』の大石先生と『ごくせん』の仲間由紀恵先生の違いについて論じる。
 大石先生は「なんにもしない」のにちゃんと恩師として機能しているけれど、仲間先生は毎週殴り合いをしないと恩師として認知されない。現代の教師は負荷が多すぎるんじゃないかなという話をする。でも、この比較を思いつく人って、きっとあんまりいないね。両方は見ないものね、ふつうは。・・・・

 とあった。お〜私、両方知ってる!って思ったけど、何しろ「二十四の瞳」を読んだのは、30年以上前の小学校時代。で、学校の図書室を探したら、ありました。

二十四の瞳 (少年少女日本文学館)

二十四の瞳 (少年少女日本文学館)

(表紙がこんなにカラフルなんですね。なぜか学校に来る本はすべてカバーが外されているので、分かりませんでした。)
 本当は今日一気に読んでからこの日記を書こうと思ったんだけど、とうとう来た!花粉症第1弾!!!で、涙、鼻水、微熱、くしゃみのため、100ページ程読んで断念。子どもの頃は、時代背景なんて全然分からなかったけど、昭和3年か・・。文章が古いのかなとも思ったけど、それは感じず。まあ、壺井栄の本は、6年生で読んだ「坂道」の感動(というのでしょうか?ウンがんばって人生生きるんだ!っていう感じ)を今でも鮮明に覚えているぐらいですから読みやすいのでしょう。「母のない子と子のない母と」もそうでした。

 私が教師になった時は、まだ「大石先生に憧れて先生に」という先生がいらしたような気がする。その後は、誰になるんでしょうか?ぐっと時代が下がって、「兎の目」(灰谷健次郎)の先生や、あとは、金八先生になるのでしょうか?
 で、自分にとっての恩師は誰か、誰に憧れて教師かを考える。恩師の第1は、何より
小学校2年生で3ヶ月間持っていただいた「東井先生」である。
(東井先生のお父さんは、東井義雄先生と言い、それこそ、私が教師になった頃の年配の先生は誰もが知っている先生であった。私の職場にも「東井義雄著作集全7巻」があった。私が初めて読んだ本は

老よ、ありがとう

老よ、ありがとう

 
で、当時はまだお元気でしたが、その後交通事故でお亡くなりになりました。10年ほど前自宅に遊びに来た大学生に「卒論は何?」って聞くと「東井義雄」と答えてびっくりしました。)
 では、その東井先生に憧れて・・・というと、全然そうではなく、子ども心に「すごすぎた」先生だったのである。つまり、本当に掛け値なしに全子どもに対して「平等」だった。
私は、幼稚園の頃から、微妙に「えこひいきされる」側の子どもだったので、そういう態度を一切取らない先生を圧倒的に尊敬した。
 結果、東井先生の偉大さにより、そうでない先生とのギャップが大きく、また自分は東井先生の足元にも及ばないことは明らかだったので、「絶対にならない職業は教師」のまま21歳を迎えた。その後、どうして教師かは、また機会があればということで・・・・・・・今日は寝ます。

おまけ
講談社の「少年少女日本文学館」を見てたら、何と

の中に「村上春樹」の短編を見つける。見開きの写真は
「著者が経営していたジャズ喫茶<ピーター・キャット>で」(昭和55年)や
「趣味の一つであるサーフィンをする著者」(昭和60年)など。
一緒に掲載されている作家が「井上ひさし」「野坂昭如」「三浦哲郎」っていうのもすごい。