マージョリー・フラックと間崎ルリ子さん

 昨日、書店で

ウィリアムのこねこ (このよろこびをあのこにブックス)

ウィリアムのこねこ (このよろこびをあのこにブックス)

を手にとって読む。マージョリー・フラックはもうとっくに亡くなっているのに新刊でした。
書店紹介
マージョリーフラック(1987〜1958)は1930年から絵本を作り始め、「100まんびきのねこ」のワンダガアグとともにアメリカの絵本の基礎を築いたといわれる絵本作家です。
アンガスとあひる (世界傑作絵本シリーズ)

アンガスとあひる (世界傑作絵本シリーズ)

まいごのアンガス (世界傑作絵本シリーズ)

まいごのアンガス (世界傑作絵本シリーズ)

などの「アンガス」シリーズは、自分の子どもによく読みました。絵が地味ですが、何度も読んだ作品です。特に「アンガスとあひる」の最後の「そして、とけいの きざむ、いち、に、さんぷんかん、なにごとも しりたいと おもいませんでした。」がとても印象的でした。「いち、に」を本当にゆっくりめくると、お話の世界にずっと入っている様子が手に取るように分かりました。
 「ウイリアムのこねこ」を訳した間崎さんは神戸で「鴨の子文庫」を開いていらっしゃいます。
 実は、神戸時代に一緒に新採だった男の先生が「鴨の子文庫」育ちでした。ですから、当然、浴びるように絵本に接して育ち、私がクラスの子どもに読むために机の上に置いている本を見て「あ〜なつかしい。」
 この時私は、本当にうらやましいと思いました。大人になってもう取り戻せないのは、「子どもの頃の豊かで幸せな経験」であるからです。私自身の自然に囲まれ、自然と共に遊んだ日々ももちろん宝物だと思っているのですが、「大人になってもこれだけ心動かされる子どもの本に<子ども時代>に出会いたかった」と痛感しました。私が20年以上も飽きもせず読み続ける原動力は、多分こんなところにあります。
 
 このことに関しては、内田樹さんの『街場の現代思想』の文化資本主義の時代で

【子どもの頃から浴びてきた文化資本の差は、20歳すぎてからは埋めることが絶望的に困難だからである。・・・・「家庭」で習得した文化資本と、「学校」で取得した文化資本の差はこの「ゆとり」、あるいは「屈託のなさ」のうちにある。そのゆとりは何よりもまず無防備」というかたちを取る。芸術作品を前にして「ぽわん」としていられること、この余裕が「育ちのよさ」の刻印なのである。】

そうか、彼が「ぽわん」としてたのは、やっぱり「育ちのよさ」だったのね。