大人になること

 各地で成人式が行われた。
私が、最初に「大人になること」を意識したのは、小学校4年生の国語の教科書に載っていた、「正直者オーネスト」(題名はうろ覚えです。もしかして、「大いなる巌の顔」だっかかもしれません。)です。

ある村に大きな岩があり、それが人の横顔になっています。村人は、将来あの巌の顔をした人物がこの村の救世主になると信じています。小学生だったオーネストは、毎日学校へ行く途中でその巌の顔を見ながら育ちます。どんな立派な人が現れるのだろうかと期待しながら・・・。
村には、横顔の人物と思われる男がが次々と現れるのですが、そのたびに、本当ではなく、村人はがっかりします。月日は流れ、オーネストが大人になったある日「巌の顔は、オーネスト、あなただ!」と言われ、彼は、自分が毎日見ていた巌の顔になっていることに気が付きます。
(これは、自分の解釈で、教科書も4年生以降見たことがないので、ちょっとかなりあやしいです。しかもずっと光村図書だと思っていたのですが、学図だと言われたことがあり、いつか教科書の原文に会えることを願っています。)

この話は、ずっと忘れていたのですが、40歳を過ぎたある日、「自分の人生を支えているもの(ちょっと大げさ)」の一つが、この「オーネスト」の話だと気が付いたのです。つまり、私は10歳のときに「ちゃんとした大人になる」ことをこのオーネスト少年から学んだんだと思います。

原作は

ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)

ホーソーン短篇小説集 (岩波文庫)

で、私はこの作品に出会って以降、とにかく自立すること(経済的かつ精神的)が大人になることだと思ってきたような気がします。

それを 内田樹さんは

子どもは判ってくれない

子どもは判ってくれない

の中の「自立のためにしっておくべきこと」で次のように書いています。
(長くなりますが、これから、成人を迎える人たちへのメッセージにもなりま すので・・)

「自立している人」というのは、周囲から「自立した人だ」と思われている人、それゆえに、人々に信頼され、何かにつけて相談を持ちかけられ、忠告を求められ、助力を仰がれ、責任を求められる人のことである。「自立している人」というのは、その判断が熟慮されたものであるために、ほぼ常に適切であり、またいったん決断したことは容易には阻止記入するできぬほどの実力的な基礎づけを持っている人のことである。
 自立というのは、単体で存在するものではない。それは人間たちの入り組んだ関係の中で、複数の人々を巻き込んだ利害のややこしい事件を経由したあとに、「ああ、あの人は『自立した人』だったんだな」という仕方で回顧的にしか検知されないものである。
自立というのは宣言や覚悟によって獲得できるものではなく、長期にわたる地道な努力を通して獲得された「社会的な信認」のことなのである。

そうか〜「社会的信認なのね」納得。

ちなみに、私の楽しみで毎日必ず読むブログは
内田樹 http://blog.tatsuru.com/
で、友人に教えたら「(私のことを)結構繊細なんだね〜」と感心(?)されてしまった。ヨン様って誰?って言ってられるのは、多分この内田先生のブログと著書のおかげである。