人を見る目

 ものすごく久しぶりに内田先生。
 今日のお題は「人を見る目」

 まずは、話の前提として

 

私たちの社会のたいへん深刻な問題のひとつは「人を見る目」を私たちが失ってしまったということである。誰にでも見えるものなら「人を見る目がある」とか「ない」とかいうことは言われない。
ごく例外的に見識の高い人にだけ「見えて」、そうではないひとには「見えない」からこそ、「人を見る目」という熟語が存在するのである。

 だから、「例外的に見識の高い人」にだけ見えるものを私が「見える」はずはないのですが・・。

 以下の部分には、強く共感しました。


「人を見る目」というのは、その人が「これまでにしたこと」に基づいて下される評価の精密さのことではなく、その人が「これからするかもしれない仕事」についての評価の蓋然性のことだからである。
「この人はもっさりしているが、いつか大きな仕事をするに違いない」「この人はずいぶん羽振りのいい様子をしているが、そのうちに大失敗するに違いない」「この人はずいぶん恭順な様子をしているが、そのうち私の寝首を掻く気でいるのであるな」などなど、「まだ起きていないこと」についての予測の確かさのことをもって「人を見る目」と称するのである。

 これを読んで一番最初に思い出したのは、ノーベル賞受賞者の小柴さんが、東大理学部物理教室にいた戸塚洋二氏のことを「成績はあまりよくないが、目つきが違う」と言って評価したというエピソードです。残念ながら、戸塚氏はノーベル賞に近いと言われながら、亡くなってしまいました。
 このようにして、眼力のある先輩から、見出された人(お弟子さん)は、本当に幸せなのだと思いました。

 
 追伸
 内田先生は、来年度(定年まで)入試部長に選任されたそうです。
 我が家の長女(高3)が、受験生のため、少し大学入試に詳しくなったのですが、一番の驚愕は「女子大の入りやすさ」です。
 そういう厳しい時代の「女子大 入試部長」の任であるならば、そざ大変かと推察いたします。
 こんなところからのエールでは、全く意味をなしませんが、本の出版が少し減ろうとも、ブログでお会い出きるならばと思っています。