正しい育児

 今日から、個人面談。
 帰宅後、内田先生日記を読んでいると、今日のお題は「正しい育児
 子育て関連についての意見は、内田先生と心底気が合ってしまうので、その通り!!というつっこみを入れながら読む。

 今日は『プレジデント・ファミリー』、昨日は『日経キッズプラス』と2日続けて育児誌の取材の話。
 
 以下内田先生日記より。

 

 あなたがたの雑誌が推奨しているような育児戦略はその根本から間違っているのであるという話をする。
両誌の編集者たちはたいへん熱心に聴いて、納得顔で帰っていった。

 子どもは放っておけば、必ず価値観や生活様式の違う他者に惹きつけられる。それは生き延び、子孫を残す上で必須な能力と資質がその関係をつうじて涵養されることを子ども自身が本能的に知っているからである。
それを親がそれを阻害しようとするのに「何か効果的な方法はありませんか?」と訊かれても答えようがない。
 自分の子どもを「誰からも愛されず、誰も愛することのできない人間にしたいんですけど、どうしたらいちばん効率よくそうなれますか?」という質問に、誰が答えることができようか。

 現在メディアで育児戦略として流布している理説のほとんどは「誰にでも、いつでも妥当する」という建前を掲げている。しかし、その一点で、それらの理論はすでに間違っている。
 というのは、育児は構造的に斉一的ではありえず、かつ首尾一貫しないものだからである。
 すべての子どもはそれぞれにきわだって個性的であり、同じ子どもは二人といない。そして、子どもは絶えず変貌している。だから、「誰にも、いつでも妥当する」育児戦略というのはありえないのである。

 私は、若い頃、同僚の先生方から我が子のことに関して「(例えばお兄ちゃんが優秀で手が掛からなかったのに、下の弟が同じでない場合)同じように育てたのに、全然違っちゃって・・・」というぼやきににた言葉をよく聞いた。
 わが子3人、「それぞれきわだって個性的」ではなく、凡庸ではあるが、でも見事に3人全く違っているのである。
 今後の楽しみは、「価値観や生活様式の違う他者に惹きつけられた」場合の「他者」に会うことである。