妄想する

内田先生の「強く念じる」話。

 少年少女のときに具体的に細部にわたって妄想したことは高い確率で実現することになる。
ことの順逆を間違えてはいけない。想像したことが実現するのではない。想像していたからこそ、実現したことがわかるのである。真理というのはあらかじめ存在するのではなく、構築するものなのである。
 宿命もそうである。それは自由に空想する人の身にのみ到来するのである。そして、人間がその心身のパフォーマンスを最大化するのは、「私はいま宿命が導いた、いるべき場所、いるべき時に、いるべき人とともにいる」という確信に領されたときなのである。 

 この話は、数度目なので、ごめんなさい・・ですが。

 内田先生は、よく「強く念じたことは、高い確率で実現する」というようなことを書かれています。
私は、20才の時に、北アルプス穂高から下山して、徳沢園にテントを張りながら、
 「20年後には、ここに山登りをする夫と素直な3人の子供を連れてきて、子供の歓声を遠くに聞きながら、ぼ〜と初夏の1日を過ごす」光景をくっきりと想像しました。
 多分その後の私の行動は、すべてこの日想像した1日を実現するためにあったと言って過言ではありません。きっかり20年後(長男12才、長女9才、次女7才。)に実現した時には、「へえ、想像通りになるんだ」ぐらいにしか思っていませんでしたが、こうして、「想像することの意味」を価値付けてもらい、深く納得しています。

 で、今度は、これから数年後〜10年後のことです。
 
 内田先生は

 少年少女のときに具体的に細部にわたって妄想したことは高い確率で実現することになる。.
と書かれており、少女ではないので、今更妄想しても遅いような気がしますが、やっぱり「妄想すること」にしました。20才の時のように、「細部」にまでです。

 今後の私の行動は、その数年後のためにあります。