教師をためらった理由

 何度か書いているが、私は小2の時に、東井義臣先生(東井義雄先生のご子息)に教わり、毎日日記を書くことの楽しさと、それをきちんと受け止めてくれる「大人の振るまい」にすっかり魅了され、教師という職業のすばらしさを納得した。
(もちろん、それ以降もいい先生は多くいたが、小学生の子ども心に<別格>という刷り込みがなされたのである)

 でも、あまりのレベルの高さに自分の人間性はとてもあそこまで行くはずはなく・・と思い、教師への思いは封印していた。でも、その他にもう1つ、教師をためらった理由がある。
 
 それを内田先生が日記で余すところなく、語ってくれている。(2月6日 言語と身体)
 原文はこの2倍はあるが、私がためらった理由がそのまま書かれている部分のみ引用。


 

子どもは健全な成長の過程で必ず「毒を吐く」ということである。
それは彼らが彼らを保護してきた皮膜を破るときに必ず起きる生理現象である。
それまで彼らを守ってきたものを文字通り「弊履のごとく」捨てないと子どもたちは「脱皮」できない。
それはそれまで信じてきたものに唾を吐きかけ、愛おしんできたものを踏みにじるようなふるまいとして表現される。
教育における教師の困難な課題は、この「毒を吐く」というプロセスをきちんと受け止めることである。
自分を保護してきた甲殻を破り捨てるのは、子どもたちにとっても怖い。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で彼らだって毒を吐いているのである。
その冒険的な営みが彼らの成熟のために必須であるということを私たちは理解しなければならない。
むずかしいのは、それをまともに受け止めてはならないということである。
例えば、彼らは必ず一度はかつて畏敬していたものを否定する。
聞くに堪えないような言葉づかいでかつて彼らにとって「天蓋」であったものを罵る。
教師たちはその言葉を黙って聞かなければならない。
「そんなことを言うものではないよ」と言葉を遮ってはならない。
黙って聞く。
けれども、「黙って聞く」ということと「同意を与える」ということは違う。

「新しい言葉づかい」を獲得することを支援するということと、その言葉づかいで語られるコンテンツに同意するということは次元の違う話である。
それはカトリック聴聞司祭の仕事と同じである。
「恐るべきこと」を言語化することは受け容れるが、そのコンテンツには同意しない。
教師はややもすると「言葉そのものを遮る」か「言葉の内容に同意する」か、どちらを選んでしまう。
でも、ほんとうにたいせつなのは「言葉は遮らないが、内容には同意しない」という構えである。

 太字はkoyateru


 つまり、成長過程で「毒を吐く」子どもたちに正対できるのかと自問し、「できないであろう」というという結論を18才の進路決定の時に自分自身に下したのである。
それは、取りも直さず私自身が、「毒を吐き」成長してきたからである。その時に、きちんと受け止めてくれた教師は、今でも「恩師」であるが、私に、私のような子どもの相手が勤まるとはとうてい思えなかった。
(これは、何度も自問したからよく覚えている。私のような子どもがいたら、その私に「よしOK!」と言ってもらえる教師になれるか、なれるはずがない・・とね。)
 
 だから、山田詠美の小説を読んでびっくりしたのである。「あ〜子どもの頃の私がいる・・とね。」

 結局、紆余曲折あって、教職を選んだが、「毒を吐く」子どもに正対でき、どんな子どもでもOK!と言えるように(または、同僚から、あの先生なら、どんなクラスでもOK!)なった時が、一人前の教師なんだろうなあ。

 何でこう、私の言わんとしていることを(私は文にできないのに)的確に書けるのでしょう!
 こういう文章に出会えるから、内田先生日記は欠かせない。
 
おまけ 
 この日の内田先生日記を読みながら思ったこと。
 私は、PCの前に座りWEBサイトを読み出して程なく内田先生日記を知ったから、WEBに関しては、かなり楽観的です。だから、梅田さんのこの2冊の本は、出てすぐに2冊共読み、とても共感しました。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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 私がWEBの世界に足を踏み入れたのが、4年前で、ブログは1年後。この3年間で、ブログをやっていたからこそ知り得た方、または本来出会えないはずの方に多く出会いました。もちろん生!?内田先生もそのお一人です。

 

新しい事象を積極的に未来志向でとらえ、挑戦する若い世代を励ましつつアドバイスを与えることのできる「知的で明るい大人」が増えなければ、未来の創造はできない。未来は能動的に変えることのできるものだが、そのエネルギーはオプティミズムが支えるのだ。

 この言葉にどれ程勇気をもらったことか。本当にブログを書いてて良かったです。
 毎日書くことを当たり前にしてくれた東井先生にも、ここで改めて感謝です。