応援してくれる人がいるということ

 職場へ、お世話になっている方が来校される。自分のやっていることを、多分10倍以上に評価して下さって、大層気恥ずかしい。
 でも気持ちが通じたんだなと思うと、嬉しいし、元気も出てくる。
 こういう方に支えられて日々があるのだと思う。

 最近、年を重ねるたびに、本当に多くの人に支えられているのだと感じるようになってきた。小学校の卒業式で、「多くの方にお世話になり」という呼びかけの言葉を言いながら、心の中で「でも多分本当にお世話になったことをよく理解していない自分がいる」と我が身の未熟さがもどかしかったが、やっと理解できる年になったのである。30年以上掛かった。

 その小学校時代の話。
 私は随分田舎育ちで、在学中に転出入児が1人もいないような学校で育った。当然単学級で、全員の誕生日はもちろんのこと、家族構成も誰もが知ってた。先生もよく声をかけてくれ、安心して学校へ通っていた記憶がある。
 小学校生活は、派手なイベントはないものの、日々の生活そのものが楽しかった。(以前この日記に書いた)1年生からやった冬のストーブ当番や、校庭にあるスキー場でのスキーや体育での雪合戦、年に1度の市内体育祭への参加などなどの思い出も昨日のように(→これは無理があります。ごめんなさい。)思い出される。

 先生もすべて地元の方で、氏素性?も誰もが知っていた。教頭先生は、女性の方で同じ地区ということもあり、よく声をかけてもらった。中でも思い出すのは、スキーセットのこと。
 私は足のサイズが異常に大きく、当然学校のスキーは入らなかった。「規格外だから仕方ない」と諦めていたんだけど、小6になって、「今年はスキーできるよ、買ったから」と言ってくれたのである。どう考えても、私だけのサイズである。今でも忘れられないこの言葉。
 「規格外でも存在していていい」と本当に嬉しかった。それ程、大きな足と背が高いのはコンプレックスだったのである。
(30年前の小学生で163センチはやっぱり高いよね)
 ふっとした時に思い出すこの言葉は、やっぱり私の支えであり、目標でもある。

 おまけ
 長女、オーストラリア修学旅行へ。中部国際空港からの出発で、東名の事故のため「渋滞してます」とメールが来て心配していたら、「飛行機が待っていてくれ、無事出発」とのこと。200名近くの団体だからねえ。
 夏なので海で泳いだりするらしい。日差しよけにサングラスも購入し、何だかいっぱしである。
 この5日間のために学校を決めた長女。来年はパリとロンドンだそうな・・。