天の川

 昨夜は「大平貴之さんのメガスター」物語(番組名忘却)を釘付けで見る。見たい!!
私は、星空が本当にきれいな場所で育ったので、夏の夜は「天の川」を見るのが大好きだった。学生時代に八丈島へ行き、あまりの夜空の美しさにテントから抜け出し、外で寝たのも思い出した。
 また、神戸時代に、星空またたく地での体育研修会で、同室の先生が「天の川ってこんなに見えるの?初めて!」と言ったのも思い出した。えっ!23歳まで見たことないの?

 一夜明けて、HPで上映地を確認し、日程調整に入る。

 終日、仕事部屋の書類整理に追われる。以下発見した、昔の切り抜きより。
 
 

「時代の風 解剖学者 養老 猛司 −わからない事件ー」
   身体という自然見失う  2001年1月21日 (毎日新聞

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 自然というと、原生林だの野原だのを思う人が、いまでは非常に多いはずである。それは違う。自分自身の身体もまた、自然なのである。(中略)
 外部の自然は、ブルドーザーで押しつぶせば済む。だからどのような外部の自然も、人間が「征服」できると、現代人はどこかで思っているのであろう。
 遺憾ながら、身体はそうはいかない。それは自分自身でもあるからである。(中略)
 他人の身体という自然を、自分勝手な理屈で左右しようとする。それは現代人が外部の自然に対して行ってきた所業と、本質的にどこが違うのか。そう思えば逆に、ああした殺人や発言が、私とは無関係で理解できないことだと、どれだけの人が本気でいえるのか。(中略)
 自然は「ああすれば、こうなる」というものではない。経験的にしか学べないことがきわめて多い。十分にはわからないながら、せめて理解への方向に一歩でも踏み出す。意識をすべてと信じる都会人には、その主張自体がよく理解されないように思う。
(後略)

 自分が育ってきた自然環境を「恵まれていた」とやっと理解できるようになった。それにしても子育てが「リスク化」(@『希望格差社会』)する現代は、とにかく大変な時代なのね。