Wordと生じらすと児童書リスト

 今日明日は、日直で出勤。
 今日の仕事は、昨日のテキストの続き。でもここで、「一太郎」から「Word」に変えたので、もう???状態。特に罫線がちっとも簡単じゃない!ので、何で?の連続。内容はスラスラできるのに、どうして?といろいろ触っている方が長い。
 で、結局あと1つを残し、明日へ持ち越しとなる。

 昼休みは、同僚のお父様の手による「生じらす」をごちそうになる。私は静岡へ来て初めて「生じらす」を食べた。あと、「あじの開き」も。「生じらす」はスーパーで夕方半額になっているけど、「生しらすは、昼まで。夕方のは絶対食べちゃダメ」と言われたことがあり、ほとんど食べる機会がない。それだけに、嬉しいお昼になった。

 夏休みのもう一つの宿題の「児童書リスト」作りを同僚の先生に手伝ってもらって、スタートすることになった。(嬉しい!!)私の仕事は、基礎データ(児童書)のキーワードをどんどん決めて入力することである。学校で一番欲しいのは、「えっと、『戦争』の授業をするんだけど、何かない?」と言われた時に、さっと出せるリストである。
 これは、2年前に1年間「1ヶ月3冊」の児童書紹介をやりながら、新しい本はたくさんあるのに、既成のガイドブックに、その情報はほとんど盛り込まれていないことに改めて気がついたのが、そもそもの始まり。「あった方がいいよね」と相談をしたのが、もう1年半前だから、何とも腰が重かった。まあ、機が熟したということにしましょう。

『大人は愉しい』読了
 内田先生の「家族論」「師弟論」は、何度読んでも、深く納得。「師弟論」は『先生はえらい』により詳しくまとめられているので、今日の引用は、「母性の危機」より

 言い換えると、現代の日本は、「母の欲望」が歴史上前例がないほど肥大化している、ということになります。子どもは母が提示する条件をクリアできず、「母の承認」を得ることができません。そして、「父」が提供するどのようなモノも「母」の欠如を十全には満たし得ません。(夫の提供する「モノ」で満たされる程度の欲望しかもっていないことは、今では妻として恥ずかしいこととされています。)
 子どもに対する「母の欲望」だけはひたすら肥大化するのに、どうやってそれを満たせばよいのか、その具体的な指標を誰も示してくれない。だから子どもたちはどうしてよいのか途方に暮れている。
 私たちの社会の現状はそういうふうであるように私は見えます。
 しかし、奇怪なことに、メディアは、「母」たちに向かって「さらに欠如を意識化するように、さらに欲望を膨らませるように」説き聞かせています。
 これはちょっとまずいんじゃないかなと私は思います。

 現役母としては、耳が痛いと同時に、「そうです。その通り!」です。