与謝野晶子

 新刊本

きんぎょのおつかい

きんぎょのおつかい

こけ子とこっ子

こけ子とこっ子

 
2冊とも「与謝野晶子」作。『きんぎょのおつかい』を読んで、「これは、どこかで読んだカンジ」と思ったら、
やまのかいしゃ

やまのかいしゃ

だった。膝に乗せる小さな子どもがいたら、すぐ読んであげたんだろうな。購入した『きんぎょのおつかい』は、2003年で6刷。与謝野晶子って明治の人、歌人という印象だけど、昭和17年まで生き、童話も書いていたんですね。

 訃報
串田孫一
山の月刊誌『アルプ』を1958年に創刊。結婚した当時、隣に住む方から、「もう読まないから」と『アルプ』のほとんどを頂いた。そこには、スポーツでもレジャーでもない山登りがあった。ご冥福をお祈りします。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050708-00000086-mai-peo

今日の内田先生「想像の力」
 

具体的な想像力は「強い想像力」であり、記号的な想像力は「弱い想像力」である。
強い想像力は現実変成の力を持っている。
 前に「宮崎駿のアニメは映っていないところも描き込んである」と書いたことがある。
映っていないところは画面には映らない(当たり前だね)。
 でも、映っていないものを描き込むような過剰な想像力だけが画像に独特の厚みと深みを賦与することができる。そのような想像力だけが現実変成の力を持っている。
それは強い想像力を持っている人には「100%想像した通りの未来」が訪れるということではない。
 そうではなくて、強い想像力を持った人はあまりに多くのディテールを深く具体的に想像してきたので、訪れるどのような未来のうちにも、「ぴったり想像した通り」の断片を発見してしまう、ということなのである。その発見はひとにある種の「既視感」をもたらす。
「既視感」とは「宿命」の重要な構成要素である。
 だから、想像力の豊かな人は、どのような人生を選んだ場合でも、そこに「宿命の刻印」を感知する。自分がいまいるこの場所が「宿命が私をそこに導いたほかならぬその場所」であり、自分のかたわらにいる人が「宿命が私をそのかたわらに導いたほかならぬその人」であると信じてしまう。そういう人は幸福である。
 想像力が豊かな人は、だから構造的に幸福な人なのである。

 太字はkoyateru
  最近よく、今から10年後を強く想像する。(自分の周辺若干名に話すと大概あきれられる)何があっても「宿命の刻印」(@内田先生)を感知できるんだろうか。