ルーティン主義

 今日は取り合えず回復したので、朝からお仕事。大事を取って、午後2時間ぐらいの早退の予定が全然仕事が進まず、結局17:30.ひとえに、段取りの悪さが露呈してしまった。
 で、帰りながら、今日は「何かあったような」と思い出すと、次女小学校役員最後の常任理事会。こういう時は、「お鍋」にして、真面目に参加。最後だからと一人一人の挨拶を求められ「3人の子どもで、11年もお世話になりながら初めての役員ですみません。」とお詫びをする。
 今日は読み聞かせを断ったので、いつか書こうと思ってた「ルーティン主義」の絵本について。これは、昨年の12月13日発売のAERA№57号の記事を読んで「あっ!」と思ったこと。記事の見出しは「ゆっくり ルーティン主義 規則正しい型のある生活」というもので、
単に、内田先生のインタビューが掲載されているので購入したのです。副題が
「《毎日が波瀾万丈》《手帳がイベントでいっぱい》という生き方が、カッコ良かった時代があった。でもいま、そんな日常には違和感を感じる。同じことを丁寧に繰り返す生活の方が輝いてみえるのは、なぜだろう。」
 ふ〜ん。私のように17,8歳の子どもを持つ親は、バブルの最中は、子育て真っ最中で、確かに「子どもの病気による小児科通いと仕事の両立で毎日が波瀾万丈」「手帳は、予防接種や検診の日程でいっぱい」 だったはずである。子育ては、「同じことを丁寧に(だったかどうかはかなり怪しいが・・・)繰り返す」しかなかった。で、私は18:00の保育園終了ぎりぎりに飛び込んで、帰宅し、夕飯のあと、来る日も来る日も子どもに本を読んで過ごした。
 結局、何が言いたいのかと言うと「ルーティン主義」の絵本を子どもが好んだ・・・話。
好きだったのが

せきたんやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

せきたんやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

パンやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

パンやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

ゆうびんやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

ゆうびんやのくまさん (世界傑作絵本シリーズ―イギリスの絵本)

の超何も起こらない淡々とした絵本。絵本の版が小さく、お話は、ごくごく当たり前のくまさんのお話。たとえば、パンやのくまさんは「あさ、とてもはやくおきて、おおきな かまどに、ひをいれます。」「それから、エプロンを かけ、パンのきじを つくります。」・・・・・
最後はパンが全部売れて、(しかもきんじょのひとたちは、くまさんがとても れいぎただしいので、くまさんのおみせにくるのがだいすきです。)「あした はやく おきられるように、めざましどけいを かけて、ちいさいベッドにはいりました。それから、すぐに ぐっすくりねむってしまいました。」で「これが、パンやのくまさんの おはなしです。」
 初めて読んだ時は、正直「えっこれでおしまい?」って思いました。やっぱりこれも延々と読まされ、あまりに、子どもが好きなので、10年くらい前、赤木かん子さんの講演会で「どうしてでしょう?」って聞くと「OLさんも好きだよ。癒しになるみたい」って答えてくれて納得。
 私が小学生の頃、40代ぐらいの主婦が書いた家庭欄の投書で、よく「当たり前の暮らしがとってもありがだい」っていうのがあり、理解不能だったけど、今ならよく分かる。
「子どもが好きだから好き」ではなく、「大人の自分でも好き」という絵本はそんなにはないけど、このシリーズは何度も音読してそのすごさが分かり、後者の絵本の一つです。
 でも、やっぱり、版が小さいのと、ストーリーに展開があるわけではないので、初めて出会う子どもたちに、いきなり読む本ではないような気がします。
 ついでに言うと、我が家は「家族全員で朝食」にこだわり、一人でも欠けると朝から気分が悪い。だから、5,6年の家庭科の授業では、必ず「朝ごはんは誰と食べますか?」って聞くんだけど、「家族全員」なんて、もう化石状態。単身赴任とかを除いてです・・。3年前の6年生に聞いたときは、あっさりと「先生、無理に決まってる・・・。」と言われ、認識の甘さ(って言うのかな?)を知る。一番多いのが、「お母さんは、台所仕事してる」
そうなのね・・・・。

 最後に内田先生の「ルーティン主義」についてのインタビューは
「・・・自分の生活の型にこだわっている人間は『いつもと違うこと』の発生を察知する確率も高い。人間、緊張する時間を少なくすることは、緊張しなければならない時間の質を高めることなのです。」
「ルーティン主義もディセンシーも、生存攻略上の防衛なんです。日々のなにげない諸作業によって、日常生活を下支えする。対人関係では隙を作らず、無用のリスクは回避する。無意識にしろ、敏感なひとはそこらへんを察知しているのでしょう」

 その内田先生の昨年12月9日の日記には、「アエラ」の記事に関して、
「・・・・・そのようにして日常生活の中の「ささやかだけれど大切なこと」に穏やかなまなざしを向けるという知的態度にとっては長く不遇な時代が続いたのである。しかし、ルーティンを守ることは緩慢に死ぬことだ」というラディカルな「変化主義」そのものが定型化して可塑性を失い、変化を求め刺激を追う生き方そのものが少しの変化も新たな刺激ももらさないものであることがわかってきた21世紀になって、ようやく40年ぶりに「ルーティンって、やっぱりいいよね」というルーティン再評価の兆しが見えてきたのである。
この趨勢は人類学的に言えば、レヴィ=ストロースのいう「熱い社会」から「冷たい社会」へのシフトというふうにとらえることもできるだろう。」

「そのようにして」の「その」が何を指すのかを知りたい方は是非
http://blog.tatsuru.com/
の12月9日をお読みください。