支えられている言葉

 帝国書院の冊子「階(きざはし)」1月号に、池上彰のインタビューコーナーがあり、今月号はあさのあつこさんで、テーマは
「上から目線で子どもを見下ろす大人にはなりたくない」です。
 
その中で、あさのさんは、小説家の今を支えてくれている中学時代の恩師の言葉を紹介しています。

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「おまえの文章好きだよ」っていう一言に支えられて今があるわけですし。

 この話を読み、たった一言でも人生をずっと支えることができるんだと思い、では、私を支える言葉は何だろう?と自問しました。

 以下、30年以上前の話

 高校時代、ひときわ格調高い授業をする数学の先生がいました。背筋をぴんと伸ばし、淡々と、でもきちんと説明してくれる姿に、オーラを感じ、この授業だけは、絶対に手抜きをせずに受け、夏の自宅学習も数学しかしなかったほどの熱を入れて勉強しました。
 夏休み明けにひときわ分厚い数学の問題集ノートを出して、しばらくした時に、担任から
「(その数学の先生が、私の進路に関して)数学の方面に進まないのか・・と言っていたけど?」と聞かされました。

 ノートを見ていてくれたんだ!と本当に嬉しく思いました。

 20数年後の同窓会で、当時の担任からその先生のことを
「M先生は、京大を出て、大学で教鞭を取っていたけれど体を壊して田舎へ帰ってきた方。同僚だったけど、別格だった。」と聞きました。

 謙虚で実直。きっと私は、先生の言葉以上に、その授業する姿に支えられているのだと思います。