コウノトリ放鳥

 今日は、実家近くの「コウノトリの郷」のニュースより。子どもの頃、母親から、「田んぼにはコウノトリがたくさん舞い降りてきた。大きな鳥で、降り立つのがすごく速かったので本当に怖かった。」と聞いたことがある。
 http://www.asahi.com/national/update/0924/TKY200509240155.html

 ちょうど今年の読書感想文の課題図書の1冊

ぼくらはみんな生きている―都市動物観察記

ぼくらはみんな生きている―都市動物観察記

を審査のために読み直していたら、

 <バック・トゥー・ザ・昭和30年代>
 ビオトープの規模によって、帰ってくる可能性のある動植物のメンバーは、かなり異なるでしょうが、そのような場所をつくる場合、まず、その地域の昭和30年代あたりの自然の姿をできるだけくわしく調べ(じつは、そのころの動植物の記録は役所などでも少なく、これがなかなか難しい仕事ではあるのですが)、どんな自然をとりもどすべきなのか、間違えないようにすることが大切です。
 もともとそのあたりには生えていなかった野草が、どんな多く育ったとしても、むかしからこの場所には見られなかった昆虫が、いかにたくさんいるようになったとしても、それは、ほんとうの意味で、「自然が帰ってきた」ことにはならないのです。
 「バック・トゥー・ザ昭和30年代」
これを合い言葉に、私たちは、これ以上身近な自然を破壊しないように注意し、また、失われた地域の自然の復活に力をそそいでゆきたいものです。

とあった。昭和30年代生まれで、虫取りに熱中した私は、よくわかる。当たり前に、メダカを台所のざるですくい、本気で「こっちのみ〜ずはあ〜まいぞ、あっちのみ〜ずはか〜らいぞ」と歌いながら、6月には、蛍狩りをやってた。夏の朝は、ラジオ体操前(6時前)に、オキヤンマの誕生を毎日のように見てた。
 
 この間読んだ

で、内田先生は

<明治人の身体感覚>
 劇的に感度が落ちたのは、ここ2,30年くらいかな。1970年く    らいから、日本は大きく変わったんだと思います。どうして70年代かというと、これくらいのときに明治生まれの人たちが社会の一線から一斉に消えたからですね。

と言ってらしたけど、昭和40年代で大きく変わったっていうのは小学生だった私も漠然とですが、感じてました。自然環境、日常の暮らしなどなど。(これが、豊かになるということなのかな?)とかね。本当に漠然とですが。
 ついでに、昭和40年で思い出すのは、大阪万博が1970年(昭和45年)で、その頃多分、某カップ麺の発売で、そのキャッチコピーが(多分だけど)「おせちに飽きたら、○○○○○ドル!」だったのを思い出す。正月にカップ麺?ありえない!!ってこれは、強く思ったものです。
 ですから、人間の身体感覚は当然落ちるのでしょう。

 「自然との共存」と言葉にすると簡単だけど、そこには、人間の叡智が必要なのだと、思った1日でした。

おまけ
 長男が「恩田陸が芥川の『歯車』に影響されて書いた作品って何?」って聞いてきたけど、知らない。その他にも、テスト前なので、世界史のいろいろを聞いて来るが、さっぱり答えられず、ガックリ・・。